活動レポート

SOSはどこに出す? 会社も個人も、がんに直面したときの避難訓練を【ネクストリボン2018レポート】 - がんアライ部

SOSはどこに出す? 会社も個人も、がんに直面したときの避難訓練を【ネクストリボン2018レポート】 - がんアライ部

ワールドキャンサーデーである2月4日、公益財団法人日本対がん協会と朝日新聞社の主催で行われた『ネクストリボン2018 ~がんとの共生社会を目指して~』。第2部のパネルディスカッション「がんとの共生社会を目指して」の一部をご紹介します。

 

【登壇者】

向井亜紀氏(タレント)

西口洋平氏(一般社団法人キャンサーペアレンツ代表理事)

若尾文彦氏(国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター長)

*コーディネーター 上野創氏(朝日新聞社 報道局映像報道部次長)

 

 

>>ネクストリボン2018・鼎談記事

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カミングアウトはすごくハードルが高かった

 

朝日新聞社・上野氏私もがんのサバイバーで、職場復帰の体験者でもあります。がんと仕事に関していろいろな思いがあり、これまで取材を続けてきました。まず西口さん、がんを宣告された後のことについて教えていただけますか?

 

キャンサーペアレンツ・西口氏:3年前、35歳で胆管がんのステージ4という告知を受けました。会社でそんな事例は聞いたことがなかったし、どうしていいのか、誰にどう言えばいいのか、何も分からなくてパニックでした。そのころは涙が出てしまって、友人にすら、がんであることを言えなかったんです。カミングアウトすること自体がものすごくハードルが高いことでした。

 

結局3カ月間休職しましたが、職場復帰をするときは人事と上司にしか、がんのことを言えていなかった。ただ、上司に「チームメンバーには理解してもらった方がいいんじゃないか」と言われて、復帰前にメンバー8人と中華料理屋にランチに行ったんです。回る円卓を囲んで、僕の隣のやつからピータンを回して、それぞれ近況報告をしたんですね。最後が僕で、「がんって言われたんだけど、通院しながら頑張るからよろしく」って、明るい雰囲気の中でカミングアウトできました。そんなに気負うことなく復帰ができたのはありがたかったですね。現在は会社に勤めながら、二足のわらじで同世代のがんサバイバーのコミュニティ『キャンサーペアレンツ』を運営しています。

 

朝日新聞社・上野氏:メンバーはどんな反応でしたか?

 

キャンサーペアレンツ・西口氏:絶妙な表情ですよね。「笑顔で話しているけど、やばいよね?」と思いながらも、目の前の人は元気そうだし、なんなら自分の分のピータンがないことにイラついている(笑)。僕自身、カミングアウトの経験を重ねたことで伝え方が分かってきていたところもあったし、メンバーはショックだったと思うんですけど、「まぁ、目の前のやつは元気そうだしな」というふうに見てくれたのは良かったなと思います。

 

タレント・向井氏:私は2000年に妊娠をきっかけに子宮頸がんが分かったとき、子宮内膜症で入院することにしようと思っていたんです。でも写真週刊誌に、病名を含めて全部記事にされてしまいました。お腹の中に赤ちゃんがいたことも、知らない人の言葉で書かれた記事によって表に出てしまう。それがどうしても嫌で、記者会見を開いて、病名も妊娠のことも全部自分で話しました。他人に投げられてしまった賽(さい)を追いかけて拾った形でカミングアウトが始まってしまったんです。

 

 

助け合いの精神”や“情”は小さい会社だからこその強み

 

朝日新聞社・上野氏:向井さんはその後、お仕事はどうなったんですか?

 

タレント・向井氏:芸能界の仕事は個人事業主と同じなので、芸能事務所からはお見舞金が20万円出たんですけど、その後はいきなり収入がゼロになりました。そのころ夫の高田延彦は格闘技の世界でガチンコ勝負をしていて、彼もまた収入が乱高下していて(笑)。何もできない中で「どうしよう、いつ治るんだろう」という不安がありました。

 

事務所も、私が司会をしている番組をいつまで休むか分からないから、番組に代打のタレントを提案したんですよね。そうしたら番組の皆さんが「いいや、僕たちは亜紀さんとチームなんです。亜紀さんを待ちますよ」と言ってくださった。私は本当に感動して、皆さんの気持ちに応えようという気持ちが何よりも心の支えになりました。職場の皆さんの愛情が本当に身に染みましたね。

 

キャンサーペアレンツ・西口氏:僕は営業なので、「数字のことを言われるんじゃないか」という不安から、まず人事に相談したんです。それで人事がうまく上司との間を取り持ってくれた。このことは良かったなと思う反面、本当は結果オーライではダメなんですよね。もし、伝える順番や伝えるタイミング等が違っていたら、場合によっては結果オーライにならなかったかもしれません。一つひとつの事例や経験談をシェアして、“結果ダメだった”を少なくしていかなければと思っています。

 

朝日新聞社・上野氏:「がん対策は大企業しかできない」というイメージが持たれがちですが、西口さんが勤めている会社では、その後どうされたんですか?

 

キャンサーペアレンツ・西口氏:社員の平均年齢は30歳ぐらいで、子育ての話もこれからという会社だったから、病気なんてあまり想定もしていないのが正直なところでした。でも、小さい会社だからこそ、情っていうんですかね。想いがすごくあったんです。社長や会長との距離も近かったから、「俺に何ができるのか」って、一対一の人間として問うてくれました。特別な制度はないし、年収は半分になったし、大変なこともあるんですけど、居場所があると思えたことが大きかったですね。温かいものがそこにはあって、それは制度を優に超えてくる。

 

タレント・向井氏:私も夫が経営している高田道場という小さな会社に、“戦わない高田道場の一員”として所属しています(笑)。選手は体が資本で、病気や怪我は大事件。だからこそ、みんな、助け合いの精神がもともとあったんです。お互いのことだけではなく、家族の体調のことまでみんなが知っている。それが山あり谷ありを乗り越えられた秘訣かもしれないなと思います。

 

国立がん研究センター・若尾氏小さな会社は家族のような気持ちを持っているんですよね。それぞれの社員の状況がよく分かっている。社員ががんになったときもフランクに話し合うことができますし、支える方もみんなに助けてもらっているという気持ちを共有できています。

 

ある社長は「社員を大事にするのは温情ではなく、経営のためだ」と言っていました。会社が社員を大事にしているということが伝われば、社員のモチベーションが上がる。モチベーションが上がれば、仕事の効率が上がる、と。社員の士気を上げるという意味で、経営のメリットを感じているという話を伺ったことがありますね。

 

 

頑張り過ぎずに、気持ちよく「支援する・されている」の関係を

 

朝日新聞社・上野氏:今はまだ、「病気になっても働ける社会にしていこう」という、変化の途中だと思います。社会もしくは患者側がどのような心構えで取り組むとよいと思いますか?

 

キャンサーペアレンツ・西口氏:僕は週1回通院しているんですけど、半年程度で有給がなくなっちゃうんですよ。でも一方では、“有給取ってないやつ9割いる説”っていうのがある(笑)。そんな彼らから「俺の有給を大変な西口に使ってくれ」という話が出たんです。人事に確認したら税金の問題で難しかったんですけど、その辺がもっと柔軟にできるようになって、お互いが気持ちよく「支援する・されている」っていう関係ができるといいなと思います。

 

国立がん研究センター・若尾氏通院や治療は2時間仕事を休めればいいのに、1日休みを取らないといけないのが、今の制度の弱いところなんですよね。

 

朝日新聞社・上野氏:向井さんはいかがですか?

 

タレント・向井氏:復帰したときに張り切り過ぎて、退院2日後に救急車でもう一回同じ病棟に戻ったんです。これは特に女性にありがちだと思うんですけど、入院中に家が部室みたいにぐちゃぐちゃになっていて。家を片付けたいし、仕事を休んで迷惑をかけた人たちには、元気な顔を見せたいからオシャレして……そんな感じで頑張り過ぎてしまいました。こういう人は多いそうです。家事も仕事も子育ても、ゆっくり再スタートする方がいいっていうのを肝に銘じておくこと。

 

あとはお医者さん側も、患者さんが頑張り過ぎないように具体的な指示を出していただけたらいいなと思います。「サボりじゃないよ、ここはやらなくていいよ」っていうことを本人が理解できるし、上司にも伝えやすいですよね。がんの罹患率が高まる女性の40代から50代は、仕事や子育て、介護など、役割や責任を果たしたい場所がいろいろあります。お医者さんには、職場やそれ以外の場所で役割を果たせるように、どうコントロールするのかを一緒に考えていけるような、そんな協力者になってくれたらなという想いがあります。

 

国立がん研究センター・若尾氏:今後は患者さんがどのくらい仕事ができるのか、医者と会社が情報を共有しながら復職プランを作っていくようになると思います。両立支援コーディネーターが会社と医療機関の橋渡しをして、患者さんの両立支援のサポートをしていく。そんなことが検討されています。

 

 

一生のうちに2人に1人ががんに罹患するこれからは、避難訓練のようにSOSを出せるところを考えて

 

朝日新聞社・上野氏:がんは種類や治療方法によって状況が変わってくる。働き続けていくための配慮は一律ではないと思います。

 

キャンサーペアレンツ・西口氏「ぶっちゃけどうなの?」ということが話し合えないと、前に進みようがないと思うんですね。特にがんって、言いにくい最たるものじゃないですか。普段「最近どう?」みたいな話もできないような人に、がんの話なんて絶対にできない。目の前の人たちと他愛のないコミュニケーションを取れるような関係性があるのか。率直に言う、あるいは聞くっていうことができれば、助け合いの風土は自然とできあがるんじゃないかと。難しいですけど、まずは目指すことが大事だと思います。

 

タレント・向井氏:私も本当にそれが大事だと思います。一生のうちに2人に1人ががんに罹患するということは、もう台風みたいな感じですよね。親身になって相談に乗ってもらえる人、泣きながら SOS を出せるところ。今から避難訓練のように考えて、そんな場所を作っておけば、全然違うと思います。知恵を出し合って、何がハッピーなのか、皆で探っていく。

 

あとは中小企業の場合、しっかり治してもらいたいんだけれども、そうすると会社が回らなくなることがあるんですよね。だから本人はもちろん、社長や責任者がSOSを出せるところもあったらいいなと思います。うちの場合は日体大のレスリング部にSOS がいくんですよ。選手の子が来てくれるので本当に助かっています。

 

国立がん研究センター・若尾氏: 今までがんは他人事でしたが、2人に1人が一生のうちでがんになるこれからは、一人ひとりが“自分事”の意識を持つこと。困っている人を助けてあげよう、自分がなったら助けてもらおう。日本が、そんなお互い様の気持ちを持った社会に成熟していくように、個人が気持ちを変えていくことが大事なのかなと思います。

 

 

【登壇者プロフィール】

向井 亜紀氏 タレント

1964年生まれ、埼玉県出身。日本女子大学在学中、ラジオDJとして人気を集め、以後テレビ・ラジオ・執筆・講演など、幅広く活動。1994年、格闘家の高田延彦氏と結婚。2000年、子宮頚がんによる子宮全摘出で、妊娠16週で小さな命を失う。2003年、米国での代理出産により、双子の男子を授かる。2013年にはS状結腸がんが発覚し、手術する。現在はテレビ番組の司会を務めるほか、夫と共に全国で展開する体育教室『高田道場ダイヤモンドキッズカレッジ』にMCとして参加し、のべ2万人以上の子どもたちに身体を動かす楽しさを伝えている。

 

西口 洋平氏

一般社団法人キャンサーペアレンツ代表理事

1979年生まれ、大阪府出身。神戸商科大学(現・兵庫県立大学)卒業後、エン・ジャパン株式会社に入社し、現在は人財戦略室に所属。家族は妻と小学3年の娘。2015年2月、35歳でステージ4の「胆管がん」の告知を受け、死の恐怖や孤独感にさいなまれる。周囲に同世代のがん経験者がいない中、ピアコミュニティサービス「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」を2016年4月に発足。現在も週に1度の抗がん剤治療を続けながら会社に勤務。並行して「がんと就労」「がん教育」などのテーマで講演や研修なども行い、子育て・働き盛り世代のがん患者の「声」を世の中に届けるべく活動している。

 

若尾 文彦氏

国立研究開発法人国立がん研究センターがん対策情報センター長

1986年横浜市立大学医学部卒。国立がんセンター病院レジデントなどを経て、放射線診断部医長。腹部の画像診断に従事しながら、同センター情報副委員長として、医療情報システム構築、がん情報の発信などに取り組む。2006年のがん対策情報センター開設に伴い、センター長補佐を併任。ウェブサイト「がん情報サービス(gannjoho.jp)」などでの正しいがん情報の発信、がん登録、がん医療の均てん化支援、たばこ対策支援など、がん対策の推進に取り組む。2012年より現職。

 

上野 創氏

朝日新聞 東京本社 映像報道部次長

1971年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、1994年に朝日新聞社入社。横浜支局に勤務していた26歳のときに肺に転移した精巣腫瘍が見つかる。手術、抗がん剤治療を受け、1年後に職場復帰を果たしたが、その後2度再発し、入退院を繰り返す。体験を連載記事「がんと向き合って」で公表し、後に出版、日本エッセイストクラブ賞を受賞。その後は社会部で教育をテーマに取材活動をしながら、がんサバイバーの生き方や「いのちの教育」などもテーマとして追い続けている。2010年に担当した連載記事「ニッポン人脈記 がん その先へ」が第30回ファイザー医学記事賞大賞を受賞。

 

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