活動レポート

治療で退職せざるを得なかったから、また一緒に働くために「内定通知書」を渡した/株式会社ファーストロジック - がんアライ部

治療で退職せざるを得なかったから、また一緒に働くために「内定通知書」を渡した/株式会社ファーストロジック - がんアライ部

がんと就労の両立支援に取り組む企業には、どのような背景や想いがあるのでしょうか。具体的な施策とともに、そのストーリーをご紹介します。

 

今年がんアライ宣言をした、不動産投資のマッチングサイト『楽待』を運営するファーストロジック。同社はなぜがんアライ宣言をしようと思ったのでしょうか?

 

<プロフィール>

株式会社ファーストロジック

人事責任者 菊池さん

営業部 松原さん

病気による休職期間は6カ月だけ。一度は退職になってしまうから「内定通知書」を渡した

 

——がんアライ宣言をしようと思ったきっかけを教えてください。

菊池:松原さんががんになったことが大きなきっかけとなりました。

 

当社は「従業員を大切にしたい」という想いを持っています。さまざまなステークホルダーがいる中で、従業員は上位の存在として位置付け、「従業員の人生が豊かになるような会社運営を行い、組織力を高めます」と宣言もしています。

 

その宣言を有言実行するのだと改めて社内に周知すると同時に、外部の方にもファーストロジックのことを知っていただきたい。松原さんの病気をきっかけに、従業員の健康の問題にも向き合っていかなければいけない。そういった思いがあり、がんアライ宣言をしました。

 

ファーストロジックのコーポレートサイト

 

——松原さんのご病気がわかったのは、いつのことだったのでしょうか。

 

松原:新卒1年目、2021年の冬です。体調不良で休みを取って検査をしたところがんが見つかり、2月から休職しました。病気は前兆もなく、遺伝性のものでもなく、原因も不明。本当に突然のことでした。

 

——戸惑いも大きかったと思いますが、仕事のことはどう考えていましたか?

松原:この会社で働きたいと思って就職したので、絶対に戻りたいという気持ちが強かったです。

 

ただ、どれぐらい過酷な治療なのか、職場復帰できる人の割合はどのくらいなのか、わからない状態で治療がスタートしたので、元の生活に戻れるのか不安はありました。

 

一方、会社に病気のことを伝える不安は全くなかったですね。「人を大切にする」という意識が強い会社なので、病気を報告することでマイナスになるとは思いませんでした。

 

——素敵な会社ですね。治療はどのくらいの期間に及んだのですか?

 

松原:治療期間は全部で10カ月、大きく三つの治療を行いました。

 

一つ目は、最初の6カ月間の抗がん剤治療。3カ月入院し、残りの3カ月は自宅と病院を行き来しながら治療を行いました。

 

二つ目は骨髄移植。強力な抗がん剤を投与しながら、ウイルス感染を防ぐために隔離病棟の個室で1カ月間過ごしました。

 

そして三つ目は放射線治療。通院で、1カ月間毎日15分程度放射線を照射する治療を行いました。その後の体力回復の期間も含めると、治療期間は合計10カ月ほどになります。

 

その間は仕事と治療を両立できるような状況ではありませんでした。私の場合は強度の高い抗がん剤を使っていたので、投与してから1週間ほどはずっと体調が悪く、言葉で説明するのは難しいのですが、薬の副作用で文字が読めないような状況が続きました。

 

菊池:当社の就業規則では、病気を理由とした休職期間は6カ月と決まっていました。でも、松原さんの場合はその期間内に治療が終わらない。それは当社では初めての出来事でした。

 

6カ月の休職期間終了後は、退職とせざるを得ない。でも、松原さんとは一緒に働きたいと強く思っていたので、「治ったらぜひまたうちの会社に来てください」という趣旨の内定通知書をお渡ししました。

 

実際に治療が終わった後、松原さんから「また働きたいです」とご連絡をいただき、非常にうれしかったですね。

 

▲菊池さん

 

——松原さんは退職となってしまったことについて、どのような思いがありましたか?

 

松原:不安や心配は一切なかったですね。「退職するのに安心」という不思議な状態でした(笑)

 

ただ、もし退職だけを言い渡されていたら、ショックは大きかったと思います。新たに就職活動するのは不利だろうと思っていましたし、社会復帰自体が厳しいかもしれないと思っていましたから。

 

菊池:社長に念書を作りたいと話したところ、「念書があった方が松原さんも安心だと思う」という返答があり、すぐに作成し、法務に確認してもらって松原さんにお渡ししました。

 

人を大事にする社風の根底にある「長く働いてほしい」想い

 

——松原さんが職場に復帰したのはいつのことですか?

 

松原:2022年5月です。治療は12月に終わり、そこから3カ月間は歩いたり食事を取ったりと、日常生活に戻る準備をしていました。体調を戻し、3月に治療後初めてオフィスに行ったら、サプライズパーティーを開いてくださって。

 

 ▲サプライズパーティーの集合写真(同社ブログより

 

菊池:松原さんが戻ってきてくれてうれしい気持ちと同時に、バレたらどうしようという不安がありましたね(笑)。オフィスに誰もいないように見せかけて、あとからみんなが出てくる計画だったので、ドキドキでした。

 

松原:うれしかったですね。同期や一緒に働いていた人達と会えない状況が1年ほど続いていたので、みんなの顔を見た瞬間に安堵感でいっぱいになりました。涙を堪えるのに必死でしたね。


菊池:
私たちも胸がいっぱいでした。また戻ってきてもいいよと伝えてはいたものの、それでも一度は退職しなければいけなかったわけですから、本当に戻ってきてくれるかは不安なところもあって。だから「また戻ってきたい」と言ってくれて感無量でした。

 

▲サプライズの様子(同社ブログより

 

——復帰後、体調はいかがですか?

松原:基本的には問題なく仕事ができています。体力は病気前と比較して7〜8割という感じなので、主に上司と相談しながら残業時間を減らすなど、業務量や働き方を調整してもらっています。そういった支援もあって、無理なく休職前と同じ仕事が続けられています。

 

上司は病気になる前と同じ方だったので安心感がありましたし、会社自体が成長中で、中途社員や後輩も増えていて。チーム力がアップしているのを感じたので、「この環境で働けるんだ」と楽しみでした。

 

——無理のない働き方ができているのは、なぜだと思いますか?

松原:もともとの信頼関係があり、人を大事にする社風があることが前提にありますが、そういう環境をつくってくださっているのも大きいです。

 

営業部では2週間に1回、30分ほどの1on1ミーティングの機会があります。普段話しにくいことや日頃の悩みなどを相談できるので、そこで体調の相談や今後の希望などを話せています。

 

——なぜ「人を大事にする」社風がここまで根付いているのでしょう?

 

菊池:「長く働いてほしい」という想いが根底にあるからだと思います。近年は社会的にも「転職が当たり前」という風潮になって来たと思いますが、当社としては定年まで一緒に働きたいくらいの気持ちがあります。

 

入社したからには仲間として、長く一緒に働く。そのためには病気をはじめ、どうしようもない理由で離職してしまうことがないようにしたいと思っています。

 

ですから、松原さんの病気に限らず、個別の事情に対応することはこれまでもやってきました。

 

——世の中の人材の流動性が高まる中、特に貴社のような若い会社で「長く働いてほしい」というのは少し珍しいようにも感じます。

 

菊池:その理由として、採用が大変というのは一つありますね。当社の場合、およそ1000エントリーで1人が内定にたどり着くくらいです。新卒採用の場合は5000〜6000エントリーの中から、実際に採用するのは10人以下。それほど一緒に働く人を厳選しているからこそ、入社に至った社員一人一人が貴重な存在であり、長く働いてほしいと思っています。

 

あとは、社長自身の考え方の影響も強くあります。「優秀だけど3年以内に辞める人と、能力は普通だけど長く働いてくれる人だったら、長期的に見て会社に利益をもたらしてくれるのは後者の人材。だから長く働いてくれる人を積極的に採用したい」という趣旨の話はよくしています。

 

長く働く中で地道に少しずつ成長し、会社のことを理解し、会社の理念に沿った行動ができるようになってくれれば、仕事で成果も出てその分給与も上がっていき、双方にとって良い結果がもたらされる。だから長く働く人を会社として大事にしたい。そんな考え方がベースにありますね。

長く働いてほしいなら、まずは会社が従業員を大切にしなければいけない


——会社ががんアライ宣言したことを、松原さんはどのように感じていますか?

 

松原:寄り添ってくれているのを感じました。多分、僕が病気になっていなかったら、がんアライ宣言の情報に辿り着くこともなかったのだと思います。

 

いち社員に対して真摯に対応してくださったことが行動として伝わってきたので、うれしかったですね。

 

また、今後病気がわかった人にとっても、確実に安心感につながると思います。

 

▲松原さん

 

——少し意地悪な質問になってしまいますが、「この人と一緒に働きたい」と思うからこそ、寄り添おうと思う面もありますよね。

 

菊池:それはおっしゃる通りです。正直に言ってしまうと、もし仮に松原さんと今後も一緒に働きたくないと思っていたら、こういった対応はしなかったと思います。

 

ただ、当社にいる従業員の皆さんは基本的には長く一緒に働きたいと思っている人たち。松原さんが特別なのではなく、全員に対して同じような対応になるのではと思います。

 

——松原さんは病気前の自分の働き方や周りとの関係性など、振り返ってどう思いますか?

 

松原:もちろん仕事を頑張ってはいましたが、どちらかというと私自身の頑張りというよりは、会社の環境や社内の人の良さが大きいと思っています。

 

当社は「主体性」「チームワーク」「目標達成意識」の三つの指標をもとに採用活動を行っているので、一緒に働く人たちとチームワークが自然と取れる素地があります。良い人が集まっているからこそ、お互いにプラスの関係が築けているのかなと思いますね。

 

——休職を経て、会社への想いに変化はありましたか?

 

松原:病気前は「雇っていただいたからには成果でお返ししたい」という気持ちが強かったです。とにかく良い成果を出すべく働くことを重視していました。

 

一方で復帰後は、もちろん結果で返したい気持ちはありますが、それ以前に「安心して治療をさせてくれた」という感謝の気持ちが大きいです。

 

会社の外の環境に一度身を置いたことで、改めて当社の良さがわかりましたし、みんなが頑張ることで会社が成長する姿も第三者視点で見られました。

 

——長く働いてほしいと思って従業員に向き合った結果、従業員から会社への感謝や働きたい気持ちが芽生える。理想的な循環だと思います。

 

菊池:そうですね。長く働いてほしいと思うからには、まずは会社が従業員を大切にしないといけない。それが報われたのかなと思うと、うれしいですね。

 

当社はまだまだ創業17年であり、社員の平均年齢も31歳と若い会社です。今までは松原さんのようなケースは少なかったですが、今後は社員と一緒に10年、20年と長く働いていくうちに今回のようなケースも起こる機会が増えてくると思います。

 

そんな時にも「まずは会社が従業員を大切に」を念頭に置いて社員が楽しく健康に働き続けられる環境を考えていきたいと思います。

 

がんアライ部事務局の編集後記

 

取材の最初から最後まで、とても温かな雰囲気でした。「長く働いてほしいから従業員を大切にする」という考え方が根源にあり、それを本当に体現しているのを感じます。

 

もし松原さんががんではなく、別の事情で休職となったのだとしても、同じようにできる限りのことをするのだろうなと確信できるような取材でした。

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